曹洞宗  積善山  保泉院 HPはこちらから平井の閻魔さま『保泉院』
本堂

開山は大永六年(1527)平井の塩澤山寳光寺の三世大和尚であると記されている
当山は古くは積善庵と称していたとも記されており
山号が積善山とあるのはその名の名残と思われる
山門を入って本堂正面に向くと左側に一段高く駐車場と墓地を配し 右側には閻魔堂が建っている
墓地へ上がる階段下には北向きの地蔵が祀られている  この地蔵は旧街道の守護仏として信仰を集め 人々の往来を慈悲の眼で見守り続けている

階段を上りきると平井・大久野の山々や日の出山・大岳山が大きな空の向こうに見える
季節によって山々の色も変わる
本尊は聖観世音菩薩で 作者・製作年代は不詳だが 中世のものとみられている
また当院の位碑堂には加賀百万石 前田氏の第五代藩主前田綱紀公をはじめ 縁者連名の祠堂位牌が安置されている
これらは この地に縁のあった前田氏の流れをくむ前田長泰の子孫 前田長行が先祖供養のために納められたものと思われる
寺紋が前田家と同じ剣梅鉢であることからも 寺領が前田公より拝領されたものであることがうかがえる
閻魔大王

像内に納められていた銘札から 文明5年(1473)
仏師了戒によって造られ 像底に残る朱書きから
永禄年間(1558−70)と慶安(1652)に修理された
と伝えられています

像の高さは89cm 像の右裾から左裾までの高さ
が124cmで ヒノキ材 寄木造りです
かつてこの閻魔堂は日奉重清によって創建された
平井郷の閻魔堂に安置されていました
江戸時代の末に今の保泉院の境内に移されました
現在では耐火式の堂に安置されています
平成18年度に修理が行なわれ 像全体を覆って
いた慶安5年の修理時の色彩や紙貼りを除去し
その下にあった漆面を露出させ造像時当初の姿
が復元されました

閻魔大王は地獄を支配する王であり 本来のすさまじい怒りをあらわにした形相がよみがえりました

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